30円ソーダアイス

今まで生きてきたこと、これからも生きる事。

起業してみよう02

「すべての事には時がある」

 

かの有名なソロモン王の言葉です。

 

泣く時、笑う時、悲しむ時、喜ぶ時。

 

すべての事象には、ふさわしい時があります。

 

僕は先月仕事を辞めました。

 

辞める「時」だと思ったからです。

 

今がその「時」であるとの漠然とした感覚と、僕が信じる神は僕を決して見捨てないというある意味妄信めいた感覚を頼りに仕事を辞めました。

 

仮にこの決断が間違いだとしても、路頭に迷うだけです。命を失うわけではありません。

 

「時」に従う決心をした結果、僕の身に何が起きたか聴いてください。

 

 

起業という夢の実現に向けて、僕に必要なのは「土地」と「時間」でした。

 

ある木を植える事がビジネスプランの軸だったからです。

 

とはいえ、僕には土地も無ければ時間的猶予もありません。

 

貯金という保険がないので、グズグズしていられません。

 

もちろん、土地を買う余裕もありません。

 

普通に考えれば詰んでます。

 

しかし、、

 

仕事を辞める最後の日。

 

僕は同僚にこう言いました。

 

「畑をする為の土地が欲しい」

 

その同僚はこう応えました。

 

「うちの土地使って良いよ」

 

話によると、

 

その同僚には遊ばせている土地があり、その土地を借りてくれる人はいないかと家族で話していたばかりだといいます。

 

約300平米の土地を最初の2ヶ月は無料で、それ以降は月1万円で貸してくれる事になりました。

 

 

それから数日後。

 

僕は兄と慕う友人に呼び出されました。

 

その友人には以前、僕の企画案を簡単に話した事がありました。

 

その友人はこう言いました。

 

「先行投資をしよう」

 

僕が企画に全力で打ち込めるように生活の基盤を保証するとの事です。

 

この瞬間。

 

「土地」と「時間」の両方が揃いました。

 

この記事を書く数時間前の出来事でした。

 

すべての事には時があります。

 

僕は、この時を備えて下さったヤハウェ(キリスト教の神)と土地と時間を提供してくれた方々に全力で応えたいと思います。

 

 

すべての事には時がある。

 

 

あなたには、諦めてしまった夢がありますか。

 

その夢を諦めた理由は何でしたか。

 

もしかしたら、、

 

 

その夢に向かい踏み出すべき時は、

 

「今」かもしれません。

 

 

 

 

記事を書いている今は深夜の3時前。

 

眠るのに時があります。

 

 

おやすみなさい(o^^o)

起業してみよう

数年前から、

 

自分の城を建てたいと思い色々な企画を考えては机の奥にしまう作業を繰り返してきました。

 

企画の数は20を超えます。

 

時期が悪い、お金が足りない、パートナーがいない。

 

と、自分の考えが社会から悪い評価を得ることを恐れては色々な言い訳を探してきました。

 

でも、

 

でも、、

 

このままでは、子供の頃の自分に申し訳がたちません。

 

大人になったら世界を動かすんだと一片の迷いもなく信じていた無垢な心。

 

その心を裏切り続ける事に僕は疲れました。

 

だから、

 

20を超える企画のうちから、1つをピックアップして、その企画を実現させる為に動いて見ます。

 

事業資金も

良いパートナーも

正しい知識も

 

今の僕には備わっていません。

 

しかし、これからの僕にはそれら全てが加わる事を信じます。

 

「世界を変えたいのであれば、まずは自分自身を変えてみろ」

 

と、かの有名なプラトンじいさんも言ってる事だし。

 

小さなボートで大海原に漕ぎだしましょう。

 

冒険を始めるのです。

 

(o^^o)

搾取にピリオド03

集金マシーンと化す教会。

 

信じる者と書いて儲かると読みます。

 

今回は、安らぎと信仰の場所を提供するはずの教会が信者の財布をかすめとろうとしている実情について少し書いてみます。

 

もちろん、全ての教会が当てはまる訳ではありません。

 

しかし、信仰心を利用して弱い人達からお金を巻き上げる事に良心の咎めを全く感じない指導者が多いと感じます。

 

以下の点について考えてみましょう。

 

⑴牧師の給料

⑵毎週の献金

⑶十分の一献金(什一)

⑷本やCDの販売

⑸セミナー等の受講料

 

 

⑴牧師の給料

 

聖職者が給料を貰うのは正しい事なのでしょうか。

 

聖書を開いて見ると、初代教会で世界的なリーダーとして活躍していたパウロは天幕職人として働いていました。働きながら伝道したり、信者を教えたり、カウンセリングしたりしていました。

 

毎月固定の給与を貰っていたとの記述は聖書に見出せません。

 

世界的なリーダーとして毎日忙しくしていたパウロでさえ、自分の仕事を持っていたのです。

 

教会の牧師が給与を貰って牧会をする聖書的な根拠はありません。

 

 

⑵毎週の献金

 

日曜日の礼拝に参加すると、献金袋が自分の席に回ってきます。

 

「週の初めにお金を用意しておくように」とのパウロの言葉を根拠にしているのでしょうか、もちろん拒否することもできますが毎週信者は献金袋にお金を入れます。

 

さて、パウロがあの言葉を語った背景には困窮している遠方の仲間を助ける目的がありました。要するにカンパです。

 

あなたが今週献金したお金は、困窮している他の教会に全額寄付されるのでしょうか。それとも、牧師の給料や会堂の維持費など自教会の為に使われますか。

 

 

⑶十分の一献金

 

自分の収入の十分の一を教会に捧げるよう信者を励ます教会は多いと思います。

 

マラキ書を引き合いに出して、十分の一を支払うことから生じる「祝福」を強調したりしますね。

 

旧約聖書の一部のみを引用する姿勢は、御都合主義としか言えないです。

 

その聖句を引用するのであれば、他の旧約の記述も引用すべきです。

 

例えば、祭司は土地を相続しない。などの聖句を牧師や指導者に当てはめるのはどうでしょう。

 

 

⑷本やCDの販売

 

神の言葉を売り歩く者ではない。

タダで受けたのでタダで与えなさい。

 

聖書にはっきりと書かれている言葉ですね。

 

が、しかし。

 

自叙伝や学びのテキスト、自作の音楽などに値札が付いているのはおかしな事ですよね。

 

彼らは、上の聖句を読んだ事がないのでしょうか。

 

印刷等のコストがかかるというのであれば、データをインターネットにフリー素材として誰でも閲覧視聴可能にすれば良いですよね。

 

 

⑸セミナー等の受講料

 

信仰の仲間を強める為に、リバイバルに備える為になどの名目で各地で開かれる勉強会やセミナー。

 

素晴らしい事です。

 

無料であれば。

無料であれば。

 

クリスチャンはお互いの事を兄弟姉妹と呼び合います。

 

つまり、ファミリーです。

 

自分の弟の宿題を手伝う時に金銭を要求する兄を見て父親はどう思うでしょうか。

 

風邪で寝込んだ妹の財布から「介護料」を抜き取る姉は、本当に妹の事を愛していると言えるのでしょうか。

 

どんなに素晴らしいセミナーだとしても、そこに金銭が発生するのであれば、、、。

 

神様の目から見て無価値な物になり下がらないでしょうか。

 

 

 

エス様が地上に来られた時に、神殿で両替人の机をひっくり返して叫んだ言葉を思い出して下さい。

 

再びこの地に来られるキリストが、現在の教会の実情に憤りを感じないと言える理由はありません。

 

 

フリーダムはフリー。

 

自由は無料なのです。

 

 

 

搾取にピリオド2

民衆をコントロールするには。

 

大衆の意識を操作する事は簡単です。

 

肯定派と反対派、2つの組織を自身の管轄下におけば良い。それだけです。

 

これは有名な逸話ですが(詳細が違ってたらすみません)

 

ある2人のユダヤ人が都市へ出かけました。2人は通りで敷物を広げます。片方の敷物には十字架を、もう片方の敷物にはイスラムのシンボルを設置します。

 

そして2人はそれぞれの敷物の上で物乞いを始めます。

 

通りを歩くキリスト教徒は、十字架を設置している敷物にお金を置いていきます。そして、イスラム教徒は当然イスラムのシンボルが設置されている敷物にお金を。

 

イスラムの敷物にお金が沢山集まるのを見たキリスト教徒は意地を張って、十字架が置いてある敷物にお金を沢山投げます。

 

十字架が置いてある敷物にお金が増えてくると、今度はイスラム教徒が意地を張り自分の宗教の敷物にお金をばら撒きます。

 

お金が十分に集まった頃、2人の物乞いは敷物をたたみ仲良く肩を並べて通りを後にします。

 

この2人は、キリスト教徒でもイスラム教徒でもなく、ユダヤ教徒なのです。

 

2人はいわば2つの陣営を操り、勝利を収めた事になります。

 

 

僕の地元は沖縄です。

 

沖縄で話題になる事の1つに、基地問題があります。

 

何かと過激な行動が取り沙汰される基地反対派のグループですが、反対派と賛成派の根っこは同じだと僕は思います。

 

仮に、僕が賛成派のトップならば、どんな手段を使ってでも反対派の団体を生み出し組織します。

 

で、その団体が反対派全体の舵取りをできるようになるまで育てます。

 

そうする事により、突発的な暴動が起こらないように反対派全体をコントロールする事が出来るからです。

 

もちろん、沖縄の話は僕の妄想なのですが。

 

これと似たような事が世界中で起こっていると感じます。

 

まぁ、データもないし根拠を求められても何も提示出来ませんが、、

 

肌に強く感じる。

 

それだけです。

 

世の中の流れを良く観察して真実を見抜く力を養えたらと思います。

 

(o^^o)

 

搾取にピリオド

社員を人間と考えない悪徳企業とか。

 

高齢者を狙った悪質ビジネスとか。

 

青春を楽しむ権利を踏みにじるイジメっこ集団だとか。

 

例をあげればきりがありませんが、僕はこれらの「搾取する側」の人間を懲らしめる為に生を受けたと信じる事にしました。

 

暴力や過激な手段に訴えるという意味ではありません。

 

過度に懲らしめるのではなく、適切な仕方で「搾取」という名の鬼を懲らしめたいのです。

 

 

なぜ、その様な正義感を抱く様になったのか。

 

それは、僕が生まれてから約30年間もの間、搾取される側の人間だったからです。

 

30才の誕生日を迎えてから数日後、ふと自分の人生を振り返えった時にメラメラと燃立つ感情が僕の内に生まれました。

 

「もうこれ以上利用されたくない!」

 

「いつまでも弱者でいたくない!」

 

 

そうです。

 

本来、人は尊厳を持って人生を謳歌する権利があります。

 

利用される理由も、弱者でいつづける理由も本当のところ何処にも無いはずです。

 

搾取され続ける理由は何処にも無いという事実に気がつくまで、僕は30年の時を有しました。

 

勇気を持って一歩を踏み出す時に、道は開けるはずです(^^)

 

 

このブログの目的を勘違いされたくないので一言。

 

僕は何処かの宗教団体や思想団体に所属している訳ではありせん。その様な団体に誘致する目的は一切ありません。

 

やんわりとした聖書信仰を持ち合わせてはいますが、教会には通っていませんし、これからも通うつもりはありません。(なぜ聖書かについては追い追い書いていきます)

 

あまり気をわずに、ありのままを書き連ねるブログにしていけたらと思います。